バニーガールの歴史とお店

○PLAYBOYクラブ
○バニースタイルの変遷(PLAYBOY版)
○バニーさんに会える店

PLAYBOYのバニーさんが元祖ですPLAYBOYクラブですが、既に世界中から姿を消しています。バニーさん発祥の地に関する定説は無いのですが、このPLAYBOYのバニーさんに関しては元祖と呼べるだけの要素があります。その真実を知るにはPLAYBOYとは何かを少し解説します。PLAYBOY誌PLAYBOYは、ヒューMへフナーによって1953年に創刊された雑誌です。マリリンモンローのヌードで売り出したこの雑誌は、文芸部分もしっかりした造りになっておりSF古典ファンには涙ものの”華氏451”が掲載されていたことでも有名です。このPLAYBOYは、創刊準備前には”スタグ・パーティー”というタイトルで発行されようとしていましたが、”スタグ”という雑誌に商標侵害を指摘され”PLAYBOY”としました。この際、スタグ=雄シカ ということで準備していたシカのマスコットキャラクタを急遽”野うさぎ”へと漫画家”アーブ・ミラー”が書き換えました。こうして偶然”PLAYBOY=うさぎ”の図式ができあがりました。おなじみのバニーヘッド(PLAYBOYの うさぎマーク)をアートディレクタの”アート・ポール”が創作しました。PLAYBOY=うさぎというのは、バニーヘッドだけではなくあらゆる販売促物などに採用されてゆきました。PLAYBOYクラブ1960年2月、ヒューMヘフナーは、シカゴに”大人のディズニーランド(ニューズウィークの記事より)”と呼ばれるPLAYBOYクラブを開設します。ここでウエイトレスの衣装として企画採用されたのがバニーガールスタイルです。当初の企画としては、セクシーなナイトガウンをウエイトレスが羽織るという案もあったようですが、PLAYBOY=うさぎということで幾つかの思考錯誤の結果、バニーさんのバニーコートの原型が生まれました。