バニースタイルの変遷(PLAYBOY版)
1954年、PLAYBOYの通信販売申し込みのページに登場したのが、胸むきだしの”でかみみバニーさん”です。つまり、PLAYBOY初のバニーさんです。このバニーさんは、広告のグラビアを飾るだけではなく、当時150$支払い永久購読を申し込んだ読者の自宅へこの格好でPLAYBOYを持参したということです。このデザインには、PLAYBOYのアートディレクタたちが数人関与したらしくそのなかには”アート・ポール”も含まれていたようです。

1960年シカゴにオープンしたPLAYBOYクラブには洗練されたバニーさんがスタッフとしてはじめて登場しました。彼女たちの中にはPLAYBOYのプレイメイト達も含まれていたようです。当時、耳はひし形、コルセットをベースに素材の関係でちょっとだぼついたバニーコート。バニーコートのサイドは、あみこみでしばりあげています。カフスもタイも無い。ストッキングはブラウン地、耳、バニーコート、ヒールは同色でした。このバニーコートの作成はシカゴのコルセットメーカー”カボ”が請け負いました。デザインは、レニー・ボルト、製作は、アリス・ニコルスが担当しました
1964年ころには、PLAYBOYクラブが全世界へと展開していました。このころのバニーさんは、最終形のバニースタイルとほとんど変わらない状態になっています。多分、素材の違いだけでしょう。耳は、かわいくカールし、前傾セット、タイはバニーヘッド付の黒、バニーコートは、耳、ヒールと同色でサイドはリボンになっています。左にはネームプレート(ローゼットといいます)、カフスにはバニーヘッド付、そして濃い茶のシーム付きストッキング->網タイツじゃないんですぅ!!このバニースタイルは、USの特許庁に申請され受理されています。特許番号は、762884です。従って、バニースタイルの特許を最初に出して認められたのは、PLAYBOYなのです。さらに!このバニースタイル一式は、USスミソニアン博物館に寄贈され展示されたそうです。