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History バニーガールの由来 [99.09 Up]


PLAYBOYのバニーさんが元祖です

PLAYBOYクラブですが、既に世界中から姿を消しています。
バニーさん発祥の地に関する定説は無いのですが、このPLAYBOYのバニーさんに関しては元祖と呼べるだけの要素があります。その真実を知るにはPLAYBOYとは何かを少し解説します。
PLAYBOY誌
PLAYBOYは、ヒューMへフナーによって1953年に創刊された雑誌です。マリリンモンローのヌードで売り出したこの雑誌は、文芸部分もしっかりした造りになっておりSF古典ファンには涙ものの”華氏451”が掲載されていたことでも有名です。
このPLAYBOYは、創刊準備前には”スタグ・パーティー”というタイトルで発行されようとしていましたが、”スタグ”という雑誌に商標侵害を指摘され”PLAYBOY”としました。この際、スタグ=雄シカ ということで準備していたシカのマスコットキャラクタを急遽”野うさぎ”へと漫画家”アーブ・ミラー”が書き換えました。こうして偶然”PLAYBOY=うさぎ”の図式ができあがりました。おなじみのバニーヘッド(PLAYBOYのうさぎマーク)をアートディレクタの”アート・ポール”が創作しました。PLAYBOY=うさぎというのは、バニーヘッドだけではなくあらゆる販売促物などに採用されてゆきました。
PLAYBOYクラブ
1960年2月、ヒューMヘフナーは、シカゴに”大人のディズニーランド(ニューズウィークの記事より)”と呼ばれるPLAYBOYクラブを開設します。ここでウエイトレスの衣装として企画採用されたのがバニーガールスタイルです。当初の企画としては、セクシーなナイトガウンをウエイトレスが羽織るという案もあったようですが、PLAYBOY=うさぎということで幾つかの思考錯誤の結果、バニーさんのバニーコートの原型が生まれました。PLAYBOYクラブは、PLAYBOY誌が提唱する価値観と世界観を実際に体験できる場所(酒と食事を楽しみ、ライブのエンターテイメントとバニーガール)として生まれました。その結果、多くの人々を魅了して会員はたった1年で5万人を有し、世界中にクラブを増やして行きました。結局、PLAYBOY=うさぎ の図式の選択枝から、女性コンパニオンのコスチュームとしてバニーガールが生まれた訳ですが、バニースタイルのコンパニオンをどのような場面で活用したかというのもPLAYBOYが先駆者です。”クラブの看板娘(PLAYBOY本誌のイメージキャラクタではなかった。それはプレイメイト達が存在したから。)”、”お客様をエスコート”、”飲食における接客全般”、” ショーの司会・アシスタント”などバニーさんが現在活躍するほとんどの形態が実現されているのです。PLAYBOYクラブでバニーさんの様々な活躍をみた人々が”バニーガール=大人のエンターテイメント”に欠かせない重要なコンパニオンとして認識し、”バニーガール”という文化が世界中に広がったと考えてもいいのではないでしょうか?エンターテイメントだけではなくコスチュームとして”耳のついたカチューシャを着ければバニーさん”、”ワンピース水着の様なバニーコートを身に着ければバニーさん”というアレンジもPLAYBOYが積極的にしかけてゆきました。バニーさん文化が広まり定着したのは1960年代〜1970年代のことでした。


バニースタイルの変遷(PLAYBOY版)
写真等の資料を元にWindows付属のペイントブラシで描いてみました^^;

Bunny proto 1954年、PLAYBOYの通信販売申し込みのページに登場したのが、この胸むきだしの”でかみみバニーさん”です。
つまり、PLAYBOY初のバニーさんです。
このバニーさんは、広告のグラビアを飾るだけではなく、当時150$支払い永久購読を申し込んだ読者の自宅へこの格好でPLAYBOYを持参したということです。
このデザインには、PLAYBOYのアートディレクタたちが数人関与したらしくそのなかには”アート・ポール”も含まれていたようです。
Bunny old 1960年シカゴにオープンしたPLAYBOYクラブには洗練されたバニーさんがスタッフとしてはじめて登場しました。彼女たちの中にはPLAYBOYのプレイメイト達も含まれていたようです。
当時、耳はひし形、コルセットをベースに素材の関係でちょっとだぼついたバニーコート。バニーコートのサイドは、あみこみでしばりあげています。カフスもタイも無い。ストッキングはブラウン地、耳、バニーコート、ヒールは同色でした。

このバニーコートの作成はシカゴのコルセットメーカー”カボ”が請け負いました。デザインは、レニー・ボルト、製作は、アリス・ニコルスが担当しました.
Bunny 1964年ころには、PLAYBOYクラブが全世界へと展開していました。このころのバニーさんは、最終形のバニースタイルとほとんど変わらない状態になっています。多分、素材の違いだけでしょう。
耳は、かわいくカールし、前傾セット、タイはバニーヘッド付の黒、バニーコートは、耳、ヒールと同色でサイドはリボンになっています。左にはネームプレート(ローゼットといいます)、カフスにはバニーヘッド付、そして濃い茶のシーム付きストッキング->網タイツじゃないんですぅ!!
このバニースタイルは、USの特許庁に申請され受理されています。特許番号は、762884です。従って、バニースタイルの特許を最初に出して認められたのは、PLAYBOYなのです。さらに!このバニースタイル一式は、USスミソニアン博物館に寄贈され展示されたそうです。
ジャマイカ 1970年代には様々なPLAYBOYクラブでバニースタイルのバリエーションが増えていきました。
このバニースタイルは、ジャマイカのPLAYBOYクラブのものです。ビキニに耳、尻尾、タイ、カフスと、通常と同じ配色、パーツで構成されています

(他のバリエーションへ続く)

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